無駄のレベル

3月29日土曜午後の稽古。

 

3階の道場では、私のほかに他流の居合を稽古する方たちが3人。

非常に静かに稽古をすることができる環境です。

 

例によって大石神影流の陽之裏から。

中段も上段も、付けの構えでも、手の内が遊ばず、力まないように、柔らかくします。斬撃も柔らかく出来るようになってきました。先週感じ取れた「切り裂く」感覚は少し薄いですが、しっくりと刀を持てるように感じます。手の内というのは、本当に大切なものですね。

 

続いて、無双神伝英信流の稽古。

実はここ数日、師匠の動画を見ています。熱心に見ていると息子も覗き込んできて一言。「かっこええなぁ」。当たり前です。でも、私は分析をしなければならない。見惚れているわけにはいかないのです。どうすればこんな動きができるのか。

稽古をしながら考えます。

結論は、無駄のレベルが違うのではないかということ。

 

私のレベルでは、無駄な「力」を使わないようにするために、ゆっくり動かねばなりません。鯉口を傾げるにも、抜刀をするにも、ゆっくりな動きになってしまう。力を使えば、わずかな動きで実現ができるところを、力を使わないようにするには、ゆっくり動かねばならない。

そして思うのですが、ゆっくり動くと動作が大きくなってしまうのではないでしょうか。師匠の動きは実に少ない。わずかにしか動いていないように見えるのに、体が緩んでいるから、長い刀を簡単に実に抜き、斬撃し、納める。

つまり、師匠レベルの人は、無駄な「動き」がありません。もちろん無駄な「力」は当然にありません。

 

ということで、無駄ということの対象を考えるようになりました。

段階として、まず無駄な「力」を抜く。ゆっくり動かねばならない。そうすると感覚が鋭敏になる。楽な動きができるようになる。そうして最終的に無駄な「動き」を気づくことが出来るようになり、最終的に無駄な「動き」がなくなる。こんなふうに発展していくのではないかと考えました。あくまで仮説で、自分の成長段階を見据えて、希望的観測を交えてのものですね。まだ楽な動きが出来ないし、無駄な「動き」に気づいていない。無駄な動きがなくなるなんて、とてもとても。

でも、貫汪館の稽古で、無駄な「力」を指摘されると、無駄な「動き」がなくなるときもあります。同時に達成できる場合もあるので、この仮説は発展過程を大づかみするものであります。

 

でも、最終段階は、実は無駄な「動き」がなくなることではないと思っています。

先ほど述べた師匠の小さな動きがそれを実証しているのですが、無駄な「動き」がなくなると、自然に動きが早くなるのです。つまり、無駄な「間(時間)」がなくなります。

そうなんです。師匠の動きは早いのです。

 

何だか当たり前のことを書いているようにも思います。

無駄な「力」を抜いていくと、無駄な「動き」がなくなり、すると無駄な「間」がなくなる。これらはすべて「イコール」で結べるものなのでしょう。理屈上は。

これらをイコールで結ぶべく、私は苦心をしている訳なんです。

 

こう書いていて、思い出しました。我らが無双神伝英信流の先達に植田平太郎先生がおられます。この先生は剣道の大家でもありました。私は始め、剣道の大家として知り、憧れておりました。無双神伝英信流の門下に入り、植田平太郎先生がその道統におられたことを知ったときは、嬉しかった。

この先生は四国香川の僻地(今は違いますが、明治10年生まれで昭和24年没の先生の在世中は僻地と呼ばれていたようです)で修行を積んだ人でありながら、理合にかなった精妙な剣と謳われた人です。精妙な剣は、無双神伝英信流の居合修行で得たものではないかと私は考えています。

この人が全国的に有名になり、先の評価を得たのは、昭和4年の天覧試合での活躍でのことでした。優勝した持田盛二範士に準決勝で負けたのですが、その試合ぶりが素晴らしかったのです。

つまりです。大正8年に無双神伝英信流の修行を始め、免許皆伝を得たのが、大正12年。天覧試合での活躍が昭和4年。10年以上居合の研鑽をされていることになるのです。無双神伝英信流を現代において学んでいる私としては、植田先生の努力や才能もさることながら、無双神伝英信流が大きく貢献したと考えたくなるのも仕方がないですね。そう思うことにしています。

 

植田先生は居合で学んだ無駄な「間」を詰めていく方法論を剣道で実践したのでしょう。また居合で得た刀法を剣道で研鑽したのだと思うのです。

 

私は現代剣道を現在はやめています。が、いつの日か、無双神伝英信流と大石神影流の成果を、対戦式の剣道の場で活かしてみたいと思っています。まぁ、剣道とは程遠いものになるでしょうが。遠い野望ですね。

 

うーん。今日は長くなってしまいました。これは稽古日誌と言えるのか?

そんな疑問を抱きつつ、今日はおしまい。

 

                        平成26年3月29日