指導すること

4月13日日曜朝の稽古。

 

曇りがちの天気ですが、暖かで過ごしやすい一日でした。

昨日の、おそらく卓球とバドミントンのせいで、今日は筋肉痛です。

チビ助はとても楽しかったらしく、今日は父(私のことです)以外に、母と兄を誘ってまたもや体育館へ。

まぁ、安上がりで、楽しい休日です。

 

さて、今日は先週体験に来てくれた方が再来されました。

常寸の鞘付木刀をお貸しして、さっそく稽古です。

 

まず、礼法。ま、初めはこんなもんかな。

続いて、着座の練習。ムズカシイですね。でも、何とか坐れているようです。

歩法。うーん。どう説明をすればいいのか。体感を言葉で説明するって難しいですねぇ。私はどういう説明を受けたかなぁ。

斬撃。赤ちゃんの手。先週私が言われたことをそのままお伝えするのもどうかと思ったのですが、一番分かりやすい表現です。構えから斬撃まで赤ちゃんの手で行いましょう。

大石神影流の構えと素振り。やっぱり赤ちゃんの手。鼠蹊部を緩めるのが難しいようですね。これは慣れだと思います。私も最初は大変でした。知らない間に緩めることが出来るようになっていた。英信流の坐法と大石神影流の素振りの相乗効果で鼠蹊部の緩みが分かったような気がします。

 

どんな局面でも、無駄な力を抜くことが大切なんですね。これを分かってもらうために、私はどんな指導を受けたのか。

英信流の浮雲や岩波。私が相手を引き倒します。一回目、力を入れたバージョンで。

二回目、力を抜いて。ドキドキ。一回目のほうがきつかったと言われたらどうしよう。「力を抜いていた二回目のほうが、力を感じました」。ホッ。そうでしょそうでしょ。これが力を抜いたときの効果なんです。

 

次に、昨年の合宿で教えていただいた、難波一甫流の技を。力が抜けているかどうかを確認できるよい稽古法です。お手本を一人でしなければいけないのが、ツライのですが、無駄な力のレベルを分かってもらえたようです。

 

私は184センチの身長で、85キロ(少しさばを読んでます。なぜ?)の体重です。

はじめて師匠にお会いしたとき、その私を抱き上げて、すとんと床に立たせてくださりました。「今のその姿勢が無駄な力が入っていない状態です」とのこと。とても有難く、恐縮したことを今でも覚えています。

今回はそこまでしませんでしたが、少し求められているレベルを分かってもらえたと思います。

 

今まで、剣道や居合をやってきましたが、指導することのむずかしさを感じたことはあまりありません。「こうして、ああして」と、手順を教えるだけ。ある程度、稽古を積んだ人を相手にしていたという面もありますが、伝えやすかった。

でも、無双神伝英信流や大石神影流は難しい。指導する側は、これまでの体験と指導してもらったことを総動員して、何とか分かってもらおうとするのだと分かりました。

 

それにつけても、うちのチビ助を見ての感慨です。

これまで卓球は多少、遊びでやっていただけのようですが、この二日で長足の進歩を遂げました。それこそ、1グラムに満たないほどしかないピンポン玉を力任せに打ってしまえば、あらぬ方向へ飛んでいきます。そっと優しく打たなければならなし、卓球台に向かっての立ち位置も重要です。それらのことを、私との遊びの中で吸収し、常に微修正を加えていて、一日目の最後は結構ラリーが続くぐらいになりました。二日目にはとうとうスマッシュ?も決めるようになりました。

私はラケットの持ち方しか教えなかったのに。

こんなふうに、結果が簡単に分かるようであれば、自分で勝手に修正できるのです。

 

居合や剣術でも物学びでは同じです。自分の体の状態をそれこそピンポン玉のように見極めることができれば、話は簡単なんです。でも、そのためには、体の感覚を研ぎ澄まさなければならないんです。

 

来週は、大石神影流宗家継承式典です。陽之裏の演武があります。今から緊張です。間違えないで稽古できるようになりました。気も込められるようになったと感じています。今日の稽古でも、少し見学をしてもらって、稽古をしました。この状態で臨めるように、毎日家で短い木刀で稽古を積んで仕上げるようにします。ああ、それでもやっぱり緊張。緊張です。

 

                        平成26年4月13日