所作と礼

2月22日日曜夜の稽古


ぐずぐずなお天気です。ずっと小雨が降ったりやんだり。ですので今日の稽古には傘をもって歩いて行きました。暖かな夜ですね。歩いているうちに薄っすら汗をかきそうな。


今日は一人での稽古になりました。久しぶり。以前は一人稽古ばかりでした。

広い武道場に他の使用者もいないので、ゆっくり稽古できます。大きな気合を出しても大丈夫。いや、普段から気合を出すときに気を遣っているわけではないのですけど。


棒廻しをゆっくりと。本当は六尺棒でやりたいのですが、傘を持って居合刀、木刀と道着など持って歩くと六尺棒は持てないんですねぇ。残念。

半棒での棒廻しはどうにも小手先で処理をしてしまっているように思えます。

だからこそ、稽古が必要なんですけど。


大石神影流。素振りをじっくり行ってから、陽之表、陽之裏、三學圓之太刀、小太刀、二刀、天狗抄までゆっくりと行いました。三學圓之太刀から以降は久しぶり。ちょっと忘れかけていました。ズルしてノートを見ながら復習です。これも一人稽古ならではですね。

長刀合も久しぶりに。この手数は面白いのですけど、やっぱり相手がいなくてはいけないし、半棒では長刀の代わりになりません。うーん、消化不良。


英信流の稽古。大森流、英信流表、太刀打、詰合をこれまたゆっくりと。気付いたところは二度三度とやり直し。本当はしっかり最後までやりきった方がいいとは思うのですが、感覚が残っているうちに、やり直すほうが所作が深まっていく…ように思うのです。


武術の稽古をするようになって、所作に意識が向くようになりました。所作の美しい人がいますね。電車に乗っていても、仕事をしていても。何を美しいと感じているのだろうと分析(っていうほどのものではないですが)すると、以下の共通点がありました。

①姿勢がよい(背骨が立ってる。肩の力が抜けている)

②落ち着いた動作(一つ一つの動作に気持ちが行き届いている)

③静かな雰囲気(周りにさりげなく気を配っているようなたたずまい)


電車の中でスマホを触っている人は多いのですが、よく見るとそんな中にも所作のきれいな人はいるものです。先日も電車の中で、なかなかきれいな所作をする女性(若かった)がいるなぁと眺めていると、途中の駅から年配の和服姿の女性が乗り込んできました。お二人は師弟の関係にあるらしく、若い女性がすっと立ち上がって会釈をされました。年配女性も会釈を返され、隣に座り話を始めていました。もちろん若い女性はそれまで触っていたスマホはそっとしまわれていました(私も気付かなかった)。静かに、でも楽しそうに二人で微笑みながら会話をされていたので、何の話か分かりません。いったいどういう武術を稽古してるんだろうと気になりました。でもよく考えたら、お茶とか踊りとかかもしれませんね。

とにかく、二人を見ながら、偉いなぁと私はしきりに感心していました。

まず、若い女性が本当に師匠の姿を認めて、遅滞なく、それでいて優雅?に立ち上がったのはいかにも自然でさりげない動きでした。

「できるな、おぬし」っていう感じ。私に出来るか?


次にお師匠さんの動きも見事でした。驚きながら、落ち着いて?会釈を返し、座るように促して自分もその横に座る。若い女性は師匠が座られるのを見届けてそっと座る。


何だか「礼」とはこうあるべきという実例を見せてもらった気がしました。

そうなんです。先にまとめた姿勢がよくて、落ち着いた動作、静かな雰囲気というのが一番表れるのが、「礼」のときなのです。

礼というのは、人と人との出会いの場に生まれる立会いのようなものです。

まるで武術の立会いのように、瞬時に相手との間合いをはかり、相手の出方に応じて対応していく。先の若い女性も、もし友人と出会っていたら、あのような丁寧な対応はしなかったかもしれません。それはそれで、礼に適っているのだと思います。


どんなときに、どんな人と出会っても、適した礼をとることができる。この心がけが美しい所作を生むのではないかと思いました。油断ないように、でも優雅に落ち着いて対応できるようになるまで、相応の修行が必要です。ひとつひとつの動作を丁寧にすること。実際に得物を持たない日常生活の中で出来る武術の稽古なのだと思います。いや、これはもう武術ではなくて、人間の稽古なんでしょうね。


などと高尚?なことを考えつつ、日夜稽古に励んでいるわけです。


さて、横雲を抜いて稽古終了。


また来週からフランス出張です。今度も3週間ほど帰れません。

会員各位は一人稽古を積むようにしてください。


                            平成27年2月22日