恐懼疑惑

4月11日土曜午後の稽古

 

朝から曇り空でした。でも、久しぶりに長刀の稽古をしたくて、六尺棒を持って歩いて出かけます。今日の稽古は、体験3回目の方と二人での稽古。

 

礼法をゆっくり行います。袴をつけていないと妙な動きに見えますが、着座や礼法は作法の基本です。力を抜いて繊細に自分の体の動きを感じるようにしてください。

 

そのあと、六尺棒と四尺棒をもって棒廻し。これも棒の重さを感じ取る稽古になりますね。

手元ばかりに気が行ってしまいます。私もそうでした。本部道場では子どもたちがくるくる上手に棒を廻します。簡単そうに見えるのですけど、実はムズカシイ。で、つい手元を見て、手順を頭で理解して、棒を廻そうとするんです。大人の頭は固まっているので、仕方がないのですが、ある程度慣れてきたら、棒の重さを感じるようにしてください。

手順を間違えて棒が止まってしまっても構いません。棒の動きと重さを感じることのほうが重要だと思います。

私もまだ上手に廻せません。半身を左右に切り替えしていくのですが、無理な動きをしているのが分かります。どうすれば無理なく動けるのか棒が教えてくれるのですが、聞き耳を立ててくるくる廻していると、あっと言う間に30分以上経ってしまうので、残念ですが先に進みます。ご自宅に棒があるということですので、ご自分で稽古できるでしょう。

私も家の中で四尺棒をくるくる廻しています。無口な棒が語り掛けてくるのを気長に待ちましょう。

 

大石神影流の稽古。試合口を一緒に稽古しました。つい、力が入ってしまうのは自然なことです。相手の打ちがゆっくりでも、構える心が動作を速めてしまう。「受けなければ」と思って体が敏感に反応する。敏感に反応すると、力が入ってしまう。これは自然なことです。

暑い鉄板に触ってしまうと機敏に手を引きます。自己防衛上、そうでなければ困ります。この場合は武術の稽古の時のように構えてはいません。でも、「そんな時でも力を入れてはいけません」というのが武術の世界。自然な体の反応や反射を認めない。あるいは放置しない。私はそんな風に理解しています。

 

何かの本で読んだのですが、ある達人は川に向かって放尿している際に、背後から弟子が師匠を川に落とそうと師匠の背をドンと押した(師弟の間に何か賭けのようなものがあったのです)のですが、師匠である達人は押される力を利用して、川の対岸まで飛んだそうです。しかも、その時弟子の刀を抜いていたとか。一体、どこまで本当の話か分かりませんが、武術の世界で恐懼疑惑という病について語られる際に、この話をいつも思い出します。

 

一体どんな修行を積めばそんなことができるようになるのか分かりませんが、少なくとも武術の稽古をしているときに、体を固めるようなことはしてはいけません。いつもゆったりと動けるように心がけましょう。

と、言いつつ、私も兄弟子と抜刀術の稽古をする際には、体を固めてしまうのですけど。

だって、ねぇ。追いつけないんだから仕方がない。と思ってしまったら負け?です。

ゆったりと対応できるように、心の訓練なんですね。

よくよく注意することにしましょう。

 

さて、またもや来週からフランス出張です。勤め人はツライ。5月連休まで帰ってこれません。

申し訳ありませんが、各自自主稽古を積んでください。

私もフランスで稽古をするようにいたします。

 

                           平成27年4月12日