楽に動く

稽古には一生懸命取り組むのですが、最近は「楽に」しなければならないと思うようになりました。「ゆっくり」を一生懸命に取組むと、「ゆっくり」するために余分な心と身体の力を使ってしまうのかもしれません。

「楽に」すれば、余分な心の力も身体の力みも、なくなるように思うのです。

「楽に」坐ろうとすると、力を抜いて、床にすべてを預けるようになります。「楽に」抜こうとすると、肘は落ち、肩も出しゃばらず、刀と身体の重みをうまく使った動きが発動するように思えます。

自分の動きを後ろから眺めているような感覚になります。

でも「お!なかなかいい動きが出来た!」と思うと、もういけません。たぶん欲が出てきて一生懸命する心がむくむくと湧いてきて、余計な心の力を使ってしまう。

心が動くと身体も反応してしまう。

 

「どれだけ楽に動けるか」

これは私の言葉です。私の感覚や私の動きを整える上で、キーワードになる言葉です。いわば自分専用のスイッチ。

「いま楽に動けている?」「楽に坐れている?」と自分に問いかけると、肘が落ち、肩の力みが消える…ように思えるのです。

人によって、修行の段階によって、そういう言葉は異なるのではないかと思います。

「楽に」するからといって、動きを出鱈目にするわけではありません。「楽」だからといって、ドスンドスンと足音粗く動くのではありません。

「楽に」という言葉から導き出される意味なり感覚は人によって異なります。

人それぞれ、自分に向き合うための言葉を持たねばならないのでしょう。