古武道探訪 第六回  2022年9月

大阪府警察のルーツとなる「浪花隊」を指揮~桃井春蔵直正編 No2~

 幕末のころ、数々の優れた剣士を輩出したという「江戸三大道場」のうちの一つに「士学館」(鏡新明智流)があります。その「士学館」の当主が桃井春蔵直正です。門人には、武市半平太や岡田以蔵などの剣士がいたと伝えられています。歴史にあまり詳しくない人も、名前ぐらいはご存じではないでしょうか。江戸で道場を開いていた桃井が、どのようにして大阪に来ることになったのか、そして大阪府警察の前身となる「浪花隊」を率いていたのかを紹介したいと思います。

 幕臣となった桃井は、将軍慶喜の警護役として京都に同行しました。そして、大阪で剣術を教えていたが、戊辰戦争の開戦に反対し、開戦派の幕府軍人と対立して、幕府軍を離脱しました。命を狙われつつも、士学館の弟子数名とともに、河内へと逃げ延び、川崎東照宮境内(現・大阪市立滝川小学校所在地)の道場で、大阪の治安維持に当たる薩摩・長州の兵に撃剣を指導したそうです。 

 一時、無政府状態となった大阪に、政府軍は各藩兵をもとにした府兵隊を置き、さらに旧幕臣から帰順した奉行所の与力、同心を登用し、警備隊を設置しました。この警備隊が「浪花隊」であり、大阪府警察の前身といわれています。「明治元年(1868)12月には200人前後となり、制服を定め、武器として大砲4門を備えていた。一小隊 20 人くらいで隊列を組み、市内を巡回していた」と記されています。浪花隊は、4人の隊長がいましたが、そのうちの一人が、桃井春蔵直正だったといわれています。混乱の世の中で、浪花隊は、市民にとって頼もしい存在であったことでしょう。

 明治3年、浪花隊が解散すると、桃井は、羽曳野の誉田八幡宮の神宮・応仁天皇陵の陵掌となりました。神宮として務めながらも府下の警察署へ出向き、剣術指南を務めたり、境内に道場を建て、剣道を教えたりして多くの弟子を育てました。桃井は、門下生に対して、美しい立ち姿、太刀さばきを求め、さらには礼儀作法や品格、精神のあり方に重きを置いて指導をしてきたといわれています。礼儀作法や品格など、流派は違えど、大切にするところは同じなのかもしれませんね。

【参考文献:引用文献】

・『浪花隊顛末』長谷川幸延・著

・『浪花隊—幕末の剣豪 桃井春蔵』高橋 強・著

・『日本大百科全書』

・誉田八幡宮の宮司さんからいただいた資料

 

※記載に転記ミス(志学館→士学館)がありましたので、修正するとともに、

 また大坂での退避先など不明瞭な点は削除いたしました(2023.9.17)