古武道探訪 第十六回  2023年7月

大阪狭山市編(最終回)

大阪の地で行われていた武道である「天羽流」を尋ねて、地元吹田市から大阪狭山市へ、次いで福井の小浜まで辿った調査も、今回で最後になりそうです。

 

今回の調査では、尼崎藩でも天羽流が教えられていたという記事から、尼崎市立図書館を、次いでそもそもの大阪狭山藩の資料を求めて大阪狭山市立図書館を訪問しました。

 

尼崎市立図書館は阪神尼崎駅ちかくの尼崎城の脇に建つ近代的な建物でした。郷土資料の閲覧許可をもらって、いろいろ活字になっている書籍を探しましたが、武道・武芸について記述したものは残っていません。

ほとんど諦めモードの中、見つけました!懐かしい(?)「天羽拙翁」の名を!

『尼崎市史第2巻』P866に、尼崎藩伝承の武芸という表が掲載されていて、そこに天羽さんの名がありました。

全部を記載するとボリュームが多くなるので、刀術について記載されたものだけ抜粋。

 

<尼崎藩伝承の武芸>

刀術

天真正伝神道流 飯篠長威斎家直

神陰流     上泉伊勢守秀綱

卜伝流     塚原卜伝

抜刀田宮流   田宮平兵衛重正

抜刀一宮流   一宮佐太天照信

新心貫相流   天羽拙翁重英

新心貫流    丸女蔵人太夫

 

伝承されている流派とその開祖が記載されているだけで、尼崎藩の師範の名はありません。

しかも、天羽さんは田宮流、関口流、片山流を学んで新たに天羽流を興したのですが、まったく知らない流派名「新心貫相流」となっています。そもそもなんと読むのでしょう?

しかも流派名だけ見ると、その次の行にある「新心貫流 丸女蔵人太夫」と親戚のように思えます。「丸女蔵人太夫」とは、新陰流の上泉さんのお弟子さんでタイ捨流を創始した「丸目蔵人」さんのことでは?

新陰流起源のタイ捨流と田宮流起源の天羽流がどうして近しい名前になっているのやら。

謎は深まるばかりですが、これ以上探索できず。

 

次に向かったのは、郷土資料も多いと聞いた大阪狭山市立図書館。

『狭山町史第一巻』に狭山藩で伝えられていた武芸への記述がありました。

剣道は、一刀流、天羽流(!)、直心影流、鑓は風伝流、弓は日置流、雪荷流という記述があり、特に「剣道は幕末に天羽流がおこなわれ、その道場が現存する」と記されていました。

『狭山町史第一巻』が発行されたのは昭和42年。

幕末や明治、戦争の混乱を生き残り、50年前まで存続していたなんて!

また、「幕末に林外守(兎盛)が師範をしていた」との記述も発見。「林外守」さん。

覚えていますよ。古武道探訪第4回で紹介済みです。

そしてなんと、林外守さんが発行した「天羽流十個切紙」が活字になって記載されています。その中に林さんまでの伝系が載っていました。

 

「天羽流奥起南紀産 天羽拙翁義房

          多湖栄門作正憙

          多湖東三郎正時

          多湖栄門作正長

          林外守 自一

       弘化四丁未歳 正月吉旦 

   西野忠太殿          」

 

調べてみたのですが、幕末ごろの狭山藩に「多湖」という姓をもつ家臣はいません。

ということは、林外守さんは大阪まで出向いて天羽流を学んだのでしょう。

小浜にうつった伝系以外にあたらしい伝系を見つけました。

 

また『狭山藩史料 第二輯』に「御家中順席帳 安政二」と記載されたものが残されており、そこに林外守さんと西野忠太さんの名が! 

            『狭山藩史料 第二輯』御家中順席帳

 

でも、なぜか「林外守」さんの名は同じ物頭として2回でてきて、しかも年齢が違う(片方は53歳、他方は47歳)。同姓同名が2名?ややこしいでしょう。

親子なら名を継ぐということもありえますが、たった6歳差。兄弟ですかね?

切紙を受けた西野忠太さんは御供組に32歳で記載されています。

 

新心貫相流とは?

三代に亘って流派を伝えた「多湖」さんはどこの人?

なぜ林外守さんは二人いる?

 

謎が残ってしまいますが、小浜や尼崎、狭山で伝えられた天羽流の調査の旅はこれでおしまいにします。

吉宗さんの時代に創始された天羽流は、大阪の地で弟子を得て、少なくとも3か所で幕末まで伝えられました。狭山では昭和40年代まで残っていた。

1720年くらいから1970年くらいまでの250年も、天羽流はたしかに生きていました。

多くの人の手で守られ伝えられてきたのです。

いまは失伝されてしまい、どんな流派だったかも分かりませんが、なんだかとても懐かしい気がしています。

また、どこかで、天羽さんや多湖さんの名が見つかると嬉しいですね。

 

  

<参考文献>

『尼崎市史 第2巻』, 尼崎市, 1968年

『狭山町史 第1巻』, 狭山町史編纂委員会, 1966年

『狭山藩史料 第二輯』, 大阪狭山市立図書館蔵