2013年9月29日(日)
昨日は末っ子の運動会があったのを忘れていて、稽古を中止にしました。
今日は朝からの稽古でした。朝は利用者が結構多いのです。
私のほかに、空手が2組、テコンドー、剣道が稽古をしていました。
稽古はいつもと同じです。大森流、英信流表、太刀打、試合口、陽之表、陽之裏を稽古します。昇段審査前までは、ずっと通しで稽古をしていました。
昇段審査で課題も明確になったので、同じ業を数回繰り返したり、気づいたことを前の業で試したりと自由な稽古を一回目に行います。
二回目は通しで一回限りの稽古をします。昇段審査で自分の丁寧さが不足していることがよく分かったので、丁寧にを心掛けて抜きますが、しんどくなってくると業が早くなったり、鼠蹊部が立って来たりします。余計な力が出てくるのですね。
剣道の稽古では掛かり稽古といって、息の続く限りひたすら打ち込んでいくいう過酷な稽古があります。私はこれが大嫌い(たいていの人は嫌いだと思いますが)でしたが、この稽古が目指すところは、限界まで力を使ったその先に、無心の、力の抜け切った一本を打つことにある…のでしょう。引き立てる側が上手くないと、とてもそこまでたどりつけません。自分への言い訳みたいですが。
居合もおそらく稽古として、そういう数稽古的な修練方法もあるのだと思います。集中して、丁寧に、力を片時も入れず、ひたすら繰り返す。いつかそんな稽古にも取り組んでみたいと思います。剣道では嫌いな稽古なのに、なぜ居合では積極的になれるのかしら?と疑問が浮かびますが、気にしません。
まだ切り付けを腕で行っている気がします。右拳を動かさないようには気を付けたのですが。体の開きがうまく出来ていないように思いました。それに、館長に指摘をされていた大森流での鼠蹊部の緩み不足ですが、今日、感覚として鼠蹊部が立っているのが分かりました。「なるほど、これか」と得心いたしました。指摘を受けてもその時には分からないことが結構あります。今日ようやく指摘内容が腑に落ちました。できないところばかり気の付いた一日でした。
ま、まずは知ることが大事だもんねと楽天的に考えます。
初発刀と横雲を抜いておしまいです。
2013年9月22日(日)
今日は夜の部での稽古でした。
夜の部は18時から21時までが解放時間ですので、20時半まで稽古します。
さすがに日曜の夜は次の日が仕事ですので、普段はあまり稽古する人を見かけません。
ですが、今日は3連休の中日です。私以外に2組のグループが稽古していました。
といっても全グループで4名ということで、広い道場を贅沢に使いました。
例によって、大森流から抜いていきます。
前半5本で鼠蹊部の力が抜けていないと館長から指摘を受けていました。
後半のほうが鼠蹊部の力は抜けているとのことでした。
後半のほうが業も難しいはずなのに…
慎重に動きます。隣からはビュッビュッと刀が風を切る音が聞こえてきますが、気にしません。
ゆっくりゆっくり動きます。昨日工夫した右拳も忘れずに。
残念なのは、自分で自分の動きが良いのか悪いのか分からないところです。
多少以前に比べて楽な動きができているかなと思います。
また本部の稽古に行って工夫を見てもらいます。それまでは少しでも工夫を続けること。
同じ動作を繰り返しているだけですが、それは外から見たかたちに過ぎません。
武術の稽古は中身が大切です。少し角度が変わるだけで業が変わってきます。
その少しの変化を捉えられるか、どこまで繊細に自分の体の動きをコントロールできるのか。
ここが難しくも楽しいところですね。まだまだ「ザル」のような感度ですけど。
同じように英信流表、太刀打を抜いて次は大石神影流です。
何とか鼠蹊部を緩めたまま動こうとするのですが、気が付くと肩をつかって切り込んでいます。
あせらずゆっくりゆっくりやりましょう。
おしまいに、初発刀と横雲を数本抜いて今日の稽古は終了です。
2013年9月21日(土)
利用している吹田市武道館「洗心館」は立派な施設です。
今日は3階の道場を使用しました。1階は剣道の団体が利用していました。
2階は柔道場です。改装して5面も取れます。
3階では私を含め三つの居合のグループが稽古していました。
眼鏡をとってしまうので、他のグループがどんな稽古をするのかよく見えません。
でもそのほうが、自分の稽古に集中できて具合がよいのです。
今日の課題は、抜き付けです。
先日の昇段審査の場で、館長から何度もご指摘を頂きました。
難しいのは自分に自覚がないことです。意識して切り付けようなどと思っていません。
ですが、動きがそのようになっているということは、心のどこかで切る動作とはこういうものと深く思い込んでいて、それが動きに表れているのだと思います。
30年近く剣道をやってきたので、剣道の動きが出ているようにも思います。
良きにつけ、悪しにつけ習慣というのは恐ろしい。
自覚がない場合は、無理やりそれを意識しようとしても改善されません。
今回の場合は切り付けないようにと思って動いても良くはなりません。少なくとも私の場合は。
これまでの貫汪館の稽古で身に着けた方法ですが、別の動作に置き換えるのが私には有効のようです。
何度も大森流や横雲を稽古して、右拳の位置を注意すればよいのではないかと思い至りました。
体を開きながら抜刀をし、その位置から右拳をできるだけ動かさないようにします。
そうすると腕だけで行う抜き付けを規制できる気がします。
少し良くなったかも!と嬉しくなって、どんどん稽古します。すると、今度は鼠蹊部の緩みが不十分になりました。まったく何やってんだか。
一度にすべてのことを意識するのは難しいものです。稽古を積んで流儀の業が体に浸み込めば意識も不要になるのでしょう。
とにかくできないうちは色んな工夫をして稽古を積むだけです。その工夫が楽しいのです。
大森流と英信流表を何度か繰り返して、太刀打に移りました。一人でやる太刀打は自分のペースで出来ます。
一息入れて、大石神影流の稽古をしました。
構えと素振りをやるだけで、新たな汗が出てきます。十分な鼠蹊部の緩みができていないので、腰を落とす体勢が苦しいのです。
でも角度を少しずつ変えながら、楽に緩められる位置を探します。この稽古が一番しんどいです。
試合口、陽之表、陽之裏を稽古しました。これも一人稽古なので、仮想の打太刀を設定します。
それに対してはスラスラ遣えるのに、生身の相手では勝手が違います。
昇段審査では、打太刀の動きについていくことができず、頭が真っ白になりました。
まだまだ稽古が足りません。
あっという間の2時間が過ぎ、最後に大森流と英信流表をゆっくり抜いて、今日の稽古は終了です。