日曜夜の稽古です。家を出るとき、日が落ち切っていませんでした。少しずつ日が長くなってきましたね。
日曜夜は、居合のグループが3組になります。無双直伝英信流ともう一つはちょっとよく分かりません。それと私の稽古している無双神伝英信流です。
5人ほどで広い武道場を使うので、たっぷり場所を使えます。
武道場での稽古は週に一度か二度です。出来る限り週に二回はしっかりした稽古をしたいと思いますが、昨日のように仕事が土曜に入ることがありますし、家族との予定もあるので、一度も稽古できないことがあります。インフルエンザにもなっちゃいますし。
ですので、一回一回、そのときできる最高の稽古を心掛けなければなりません。と言っても、力んでしまってはいけません。無理無駄を感じられるように感度を高め、深みを目指すような稽古が必要です。今日の私は過去の自分と同じではありません。一日経てば、一日分の経験が心にも体にも刻み込まれます。自分では気付かなくても。ですので、前回できた稽古が今回もできるとは限りませんし、前回できなかった稽古が今回できることもあります。「人間というものは”日々に生き、日々に死ぬ”以外に成熟の方法を知らないのです」と三島由紀夫が書いていますが、私は深く納得しています。
そこで、「まことに日に新なり。日々新なり。又日に新なり」という言葉の登場です。古代中国の殷を興した湯王が毎朝洗顔するその青銅製盤に彫らせた文字です。もちろん漢字のみですけど。
この心掛けで、一回一回の稽古に臨みます。私の場合、この「日に新なり」を刀礼のときに感じられるようにしています。刀礼から稽古は始まっているのですが、それと同時に心身を一新するための大切な儀式でもあるのです。
でもですね。よく考えれば、何も居合の稽古の時だけではなく、日々の生活でもこの心掛けで過ごすべきですね。できればそれを儀式化して、殷の湯王のように洗顔でもよいですし、家の神棚を毎朝お祭りしてもよいですね。
明るく、清々しい気持ちで稽古に、生活に臨みたいものです。
何だか説教くさい文章になってしまいました。修正するのも面倒なので、今日はこのまま。
平成二十六年二月十六日