道場の外

日曜朝の稽古。

 

朝から雨が降っていました。桜が咲き始めたところでの雨です。大阪で花見をしたことがないので、できれば今日午後にも家族で近くの公園で花見をしようと思っていたのですが、無理ですね。

仕方がないので、桜を見上げながら道場へ向かうことにしました。雨は嫌いではないのですが、桜の季節の雨風は残念です。

 

いつも通りに、大石神影流、無双神伝英信流の稽古をしました。

が、今日は稽古の中身よりも道場の外でのおこないについて考えます。

 

今日は、空手のグループ、テコンドーのグループ、中国拳法?のグループなど多くの人が稽古をしていました。

その一画が、弓道大会の準備場所として使われていました。

それはいいのですが、そこでたむろする学生たちの態度に失望をしてしまいました。

弓道は、数ある武道の中で、もっとも礼に真摯に向き合うものだと思っていました。

が、準備場所での学生たちは、大声で話し合ったり、馬鹿笑いをしたり、射の練習をしたり。多くの団体が、すぐ近くで熱心に稽古をしているのを見ても、彼らは何も思わないのです。おそらく、弓道場では静寂に包まれた中で射を競っていたことでしょう。

つまり、自分たちの射のときには、邪魔にならないように振る舞えるのです。それがすぐ横で熱心に稽古している他の団体に対して出来ないというのは、一体どういうことでしょう。

これでは、まったく武道を稽古しているとは言えません。

 

逆に、空手のグループには金髪で青い目をした男の子がいました。

道場への出入りや、控え場所での態度をみると、礼に則った非常に好感のもてるものでした。海外から来た少年が礼を身に着けているのに、大学生がこんな状態とは。

私がもう少し短気であれば、怒鳴り込みに行くところでした。

いえ、きっとこういう場合は、注意に行くべきなのでしょうね。

分からない者には教えてやらねばならない。

 

一方で、なぜ彼らはこんな簡単なことに気づかないのでしょう。私にはどうにも分かりません。

私も武道を学んでいる者です。

よくよく、道場の外での行いに注意をしたいと思いました。

 

しかし。

稽古に集中していると、雑音など気にならないのです。

大石神影流の陽之裏、陽之表、試合口と逆にたどる稽古をしました。

その間、まったく集中していたので、控え場所にいる学生の数が増えていたのにも気づきませんでした。

でも、無遠慮に携帯で写真を撮りあっているのに気付いて、稽古をやめました。

私を撮られていたわけではありませんが、念のため。

 

あとは、居合の稽古をゆっくり行い、おしまいにします。

今日の稽古でも、切り裂く感覚は残っています。手の内もずいぶんしっくりしてきました。途中で嫌な気分になりましたが、稽古に集中できると晴れ晴れします。

 

帰りには、雨も小止みになり、桜を見上げながら帰ることが出来ました。

風も強くはなかったので、それほど散っていません。

まぁ、よい日曜の朝でしょう。

 

                          平成26年3月30日