3人での稽古

5月11日日曜夜の稽古。

 

3本の木刀と居合刀を持って稽古に向かいます。

木刀は大石神影流用のものが1本に、常寸のものが2本。

エム君と体験の方に木刀を渡し、私は三尺の居合刀で稽古です。

そうなんです。今日は三人での稽古です。

北大阪支部初の記念すべき?稽古日です。

 

礼法と立ち居、歩法、斬撃の稽古から。

人それぞれ骨格が異なり、体の大きさも違います。それぞれの事情に合わせて稽古を積んでいきますが、法則のようなものはやっぱり存在します。そけい部を弛めること、柔らかな手の内、体軸などです。これらの原則を実現するために、各人の事情でどのようにすればいいのか、工夫をしなければなりません。

自分の体の微細な動き、心の働きを感じ取る必要があります。ですので、ゆっくりした動きしかできないのです。現段階での速い動きは、単なるごまかしに過ぎません。

ゆっくり静かに動くのは、実はとてもむずかしいのです。

 

鏡を使った稽古をしないのは、鏡にうつる自分の姿に意識がいってしまい、自分の体の内部感覚をたどることがおろそかになるからです。視覚は一番つよい感覚ですから。

ま、これは私が鏡に気を取られるから、使わないようにしているだけで、それを指導する際に強制しているだけの話です。居合の稽古では鏡はよく使用されます。

極めて初心のうちは、自分の恰好がよく分からないので、鏡を使うのもよいかもしれませんが、感覚をたどる際には邪魔になるだけだと思っています。見た目の形を作ってしまっては本末転倒です。

 

エム君には、大森流を指導します。流刀まで。まずは一通り大森流を伝えたい。そのあと、業を深めていく稽古になります。そけい部を弛めるのが課題です。

大石神影流は試合口を中心に。ここでもやはりそけい部が大事です。それから手の内ですね。請け、張り、打突の際にはつい手の内を固く握ってしまいます。どんなときも手の内は柔らかく。繰り返し斬撃の稽古が必要です。

そんな稽古をしているところを体験の方には見て頂いて。

 

エム君には繰り返し自主稽古をするように指示しておいて、

体験の方に、今日は抜刀と納刀をしてもらいました。

なかなかムズカシイものです。私の初心のころは、一体どんなだったろうかと考え込んでしまいました。どうにか抜刀は出来ても、納刀が出来ませんね。左手で鞘を、右手で木刀をしっかり握って、どうにか入れてやろうとすればするほど、本来の姿からは遠くなってしまいます。手指の力を抜いて、刀と鞘の形状に沿うようにしてあげることが肝要です。なかなか思うように体は動いてくれませんね。ゆっくり取り組みましょう。

 

そんなこんなで、あっという間に2時間が過ぎました。

自分の稽古が出来ませんでしたが、自分の稽古以上に得るところが大きかったと思います。何より不細工なお手本を見せられない。真剣勝負です。

でも(だから?)、疲れました。

 

                         平成26年5月11日