7月19日(土)、20日(日)、21日(月)と貫汪館本部の特別稽古会に参加しました。
三日間の忘備を兼ねて、記録をしておきたいと思います。
書くことが多くなりそうなので、三回に分けて。
今日は、初日の稽古記録です。
初日は無双神伝英信流の稽古です。
礼法、歩法の稽古から。礼法では手を着く位置が体に近すぎました。刀を遠くに置く必要があります。でも、刀を遠くに置くために、体軸を崩したりしないように。
歩法では、足先を振り出していると注意を受けました。足裏が床に接している間も、足は動いています。静かに丁寧に、でも理合には厳しく稽古しなければなりません。
単にゆっくりやるだけではダメなのです。
初発刀。抜きつけでは息を吸いながら左手を鞘に掛ける。柄手である右手は抜きつけ動作の途中で刀の柄に掛けられるだけ。滞りなく抜きつけます。でも抜きつけではなく、体を開いているだけ。手で振らない。指は握りこまない。横雲も同じ要領です。
この後は、英信流表を二人組で稽古。英信流表は本来は一人でする稽古です。その際には、相手がこうくるから自分はこう動く…みたいに想定をしているわけですが、今回は実際に相手にそのように動いてもらうという稽古です。
これだけで自分の動きが変わってしまうのが悲しい。想定が間違っているのです。
同じく詰合の稽古。本来二人組で行う稽古ですが、北大阪ではまだ私一人の稽古になってしまいます。
いろいろ注意がありましたが、とにかく間に合わない。相手ができるとやっぱり一人稽古で培った体の動きが出来ません。まだまだ使い物にならないということでしょうね。
業の云々よりも、まずは一人稽古の仕方を再考する必要がありそうです。
自分に都合よく動いているので、都合よく動いてくれない相手が出来ると往生します。かと言って、早く動いて理合から外れてしまっては意味がありません。
やはり、静かに体を丁寧に使っていく稽古は続けなければなりません。
でも、そこに厳しさが必要なのだと感じました。間延びしたり、刀が無駄な軌跡を描いたり。そういうところに、もっと気を配らなければいけないのです。つまりは「厳しく」。そういう稽古を積んで、自分の体と心を練り上げていく。そんな稽古を求められているのです。
という反省をしました。広島焼きとビールを堪能した後で。
もう少し反省をしたかったのですが、お巡りさんに声を掛けられました。
川辺にぼんやり立っているからと言って、別に構わないと思うんですけど。
どうも、いい年をした大人がぼんやり川面を眺めていると、危険に映るようです。
大丈夫ですと言ったのに、じっと遠くからこちらを見られていると、ぼんやりもできないので、ホテルに帰ることにしました。反省はここまで。
平成26年7月21日