気を配る

9月7日日曜夜の稽古

 

昨日は稽古を中止しました。親戚に不幸があり、一日バタバタしていました。急なお休みで申し訳ありませんでした。

 

さて今日は日中こそ暑かったですが、朝晩は涼しくてよい一日です。

でも稽古をするとやっぱり汗をかきますね。激しい動きはまったくしていないのに。

呼吸に合わせて静かにゆっくり体を動かすことでおそらく全身の筋肉を少しずつ使っているのでしょう。

 

稽古の中では、刀を含めた全身に気を配るようにしています。

表現するのがムズカシイのですが、上達するにつれ、意識を向けることのできなかった箇所まで気を配ることができるようになるようです。

たとえば、抜刀でいえば右手で刀を抜いているように見えるものですが、実際は体全体を使っています。初めは右手に注意が行き、やがて鞘手である左手にも注意がおよび、それがお腹の動き、股関節の動き…というように、段階を経るごとに、いろんなところに心を配るようになってきます。その対象範囲が広ければ広いほど、体を動かせるということなのではないかと思います。おそらく一流のアスリートと言われている人たちは、私たちよりも繊細に体の動きを知覚できるのではないでしょうか。

 

師匠に指摘を受けると、初めはまったくどうにも出来ませんが、意識しているうちに指摘の内容が理解できるようになってきます。そうするとしめたもので、改善ができるようになります。つまりは気を配れるかどうかにかかっているわけです。より繊細に自分の動きを見つめることができるかどうか。

そのために、ゆっくり静かに動いているわけです。

 

前にも書いたかもしれませんが、首をゆっくり回す行法があるとヨガの先生に聞きました。どれだけたくさんの感覚を知覚できるかということがポイントだそうです。初心の者は突っ張ったとか、ぽきっと鳴ったとか、数えていって20個も知覚できればいいそうです。ヨガの先生になるとそれこそ無数にいろんな感覚を知覚できるようになるんだとか。でもそれって要するにゆっくり回すスピードを極端に落とせば、誰でも可能になるんじゃない?と不埒にも私は思いました。

首回しは簡単に出来ることだと思いますが、居合では何故ムズカシイのでしょう。

それはもちろん、全身を使っているから。首だけなんて簡単すぎます。

 

でも、原理はきっと同じでしょうね。どれだけ繊細に自分の心と体に気を配れるか。

これがポイントのように思います。

精進しましょう。

 

さてさて。来週は是非とも横浜の講習会に参加したいと思っています。

しばらく本部の道場に行けていないので。それに昇段審査も近いし。キャー。

と黄色い声で叫びたいくらいですが、四十過ぎたおっさんがやると気持ち悪い。

が、諸般の都合により、やっぱり大阪で稽古することになるかもしれません。

その際は、会員の皆様にはメールでご連絡するように致します。

 

 

                                                                        平成26年9月7日