奥義?談

11月23日日曜夜の稽古


午後は2時間ほど午睡をしました。普段の寝不足をここで解消です。それでも眠たい。

3連休はうれしいですね。こんなに寝ても、まだもう一日残ってる!


3連休の中日だし、テストや旅行があると聞いていたので、今日は誰も来ないだろうと思っていたら、赤がねさんが来られました。たしか手首を捻挫されたのに、大丈夫かしら。ともかく、ゆっくりそっと稽古をしてみましょう。


とか言いながら、いきなり初めての業から始まります。

逆刀、勢中刀、虎乱刀、抜打。これで大森流をすべて学んだことになります。

稽古中にもお話しましたが、基本は同じです。呼吸と無理無駄のない体の遣い方。これだけ。

どのような状況(想定)でも、呼吸と流儀の体の遣い方ができるようになること。

これが形の意味なのだと思います。いろんな業を学んで、その中に共通するものを育てていく。この共通するものというのが、呼吸と体の遣い方なんですね。きっと。


子供のころに、漫画で『北斗の拳』が流行っていました。「お前はもう死んでいる」という決めゼリフが有名でした。世紀末が舞台の格闘漫画ですが、いろんな拳法の流儀があって、たくさん奥義の技が出てきました。この奥義という言葉に惹かれたものです。

古流剣術にも多く奥義の技のようなものが存在します。

一刀流の夢想剣や新陰流の転、無外流の万法帰一などなど。

これらの中にはムズカシイ心法を説いたものがありますが、結局のところ命を賭した戦いの場にあって、勝ち負けを度外視した心境を自ら作り出し、その中で自得の業を使うことが奥義のようですね。つまり、稽古で培った流儀の体遣いをどのような状況であっても使えるようにすることが奥義であるわけです。私の理解なんですけどね。

だから?、業に優劣があるわけではないんです。さまざまな体の遣い方を学ぶために、想定を変えているだけ。学ばなければならないのは、流儀の体遣いです。


大森流十一本の形を学びました。あとは稽古を通じて自分の心と体を練り上げていく。

ここからが本当の稽古になります。


                        平成26年11月23日