力を入れてしまう生活

12月20日土曜夜の稽古


大阪は終日の雨。

昨夜は定年退職者の送別会があって、やっぱり帰宅が遅くなったにも関わらず、

土曜の今日もたまった仕事をやっつけに会社に向かう頑張る会社員なのに…雨。

ぼんやり見る分には好きなのですけど、休みの日に会社に向かう道中ではあんまり嬉しくない。

しかも。今日はいつものスーツではなく、ジーパンにセーターという恰好で行ったので?財布を忘れました。文字通り、飲まず食わずで働くこと8時間。減量になって良かったかも。


稽古の時間になっても雨は降りやまず、電車を利用。

今日は赤がねさんと新人さんが来られました。


赤がねさんには一通りの稽古をして、大半の時間を新人さんへ使います。

ニックネームを考えねば。


ついつい力が入ってしまいますね。剣術にしても抜刀術にしても、「切る」というのはこうなんだ!みたいな思い込み?があるんでしょうね。切ることに特化する必要もなく、何かモノに向かってさぁ取り掛かろう!と思うと、知らず知らずに力が入ってしまうんです。心の構えみたいなものが出来ちゃうんだと思います。


先日、末っ子のサッカーの試合を見に行きました。

ボールが場外に飛んできて、どこかのお父さんが蹴り返えそうとされたのですが、ボールは見事に見当違いの方角へ飛んでいきました。ボールを待ち構えて、さぁ蹴るぞ!という恰好を見たときに、心の構えが体の自由を奪ってしまってるのが分かりました。

きっと、同じことなんだと思います。


稽古が終わって着替えの雑談の中でも、仕事中、PCに向かうときも、字を書くときも力が入ってしまっているのに気付くと言われていましたが、この気付きが大切です。

心の修行というのは、こういうことをいうのだと思います。


私たちは普段の生活の中で、何かをしようと思うと、心が構えてしまって、つい力を入れてしまうんです。

まずはその状態に気付くこと。そして、出来るだけ心を構えさせないように、ゆったり対応させること。これが武術を学ぶ上での心構え(心を構えてはいけないと言っているのに「心構え」とは…)なのだと思います。

この工夫が面白くないですか?私はこういうところの工夫がとても面白いのです。

と言って、大した工夫をしているわけではありません。

ゆっくり動いて、「あ。今、固まった」とか「しまった。右手ばかり注意がいっちゃった」とか考えている(感じている?)だけ。まれにうまくいくと、何だか全体が、心と体が調和しているみたいな気持ちよさを感じる。これがまた、「まれ」なんですけど、経験しちゃうとやめられないんですねぇ。

こうやって武術探究の深みに嵌っていくのです。

たぶん、武術探究=自分探究なんですけど。


                       平成26年12月20日