稽古できる幸せ

2月15日日曜夜の稽古


待ちに待った稽古日がやってきました。

大石神影流の長木刀、小太刀、英信流の居合刀、鞘付木刀、渋川一流の半棒をもって出かけます。重い。でも楽しみ。


まずは半棒で棒廻し。うまく出来ません。棒の重さを感じることが大切なのですが、力で廻してしまいます。体捌きもギクシャクしている。体を交互に左右に開くのですが、でも多分違います。自分で開くのではなく、そうなってしまうはず。どこかに無理があるのです。それを探るために、ゆっくり棒の重さを感じて…とやっているといつまでも棒を廻すだけになってしまうので、名残惜しいのですが、次に移ります。


大石神影流の手数の稽古。

相手は音君です。以前に比べてゆっくり動けるようになりました。見違えるような進歩は日々の素振りの賜物ですね。継続してほしい。

試合口を打太刀仕太刀を交互に稽古。

陽之表は、私が仕太刀。間を詰める稽古をしようと思っていますが、間を詰めるのを誤解して早く動こうとしていました。そうではなくて、間合いを詰める。無駄な動きをなくす。これが間を詰める稽古だと思います。

スピードでごまかしてはいけません。

体が上下に振れるようではいけません。

仕太刀の私がもっとゆっくり遣わなくてはいけませんね。継続しましょう。

陽之裏も少し稽古。

小太刀もやりたかったけど、時間がないので英信流の稽古に移ります。


大小詰の稽古相手になってもらいました。でも、私が忘れてしまっていました。全部を思い出せない。悲しい。復習しておきます。

でも何といっても抱詰が一番ムズカシイ。と思っています。力で相手を浮かせようとしてしまう。私のお手本もよくないですが、それでも目指す方向とは何か違うと感じてもらえたと思います。

でもまず順番どおり、大森流、英信流表、太刀打、詰合を十分に稽古してからにしましょう。私の考えでは、大小詰は一種のテストです。英信流の体遣いが出来ているかどうかが、この大小詰でよく分かる。力で刀を振っているうちは、絶対に大小詰は出来ない。逆に大小詰が出来るようになると、力を用いずに刀を扱えるようになってきたという証だと思っています。そういう意味で、私自身は少しは遣えるようになってきたのかと思える感触を持てました。今度、兄弟子に受けてもらおうっと。


そのあとは各自で一人稽古。

私は太刀打、詰合を何度か稽古して、最後に愛刀での素抜き抜刀術。

やっぱり一番稽古を積んでいるので、一番体全体に気を配ることができます。

これが楽しいのです。いったいどういう楽しさか、伝えるのがムズカシイのですけど。

体と心が一体化している(ほど出来ていないのですが)と感じることができる…かな?

感覚が覚醒していく(ほど鋭くはないのですが)ような気がする…みたいな。

体の隅々(というほど繊細ではないのですが)まで意識が通る…気がしちゃう。

とにかく、充実しているのですねぇ。

これぞ、稽古ができる楽しみ。幸せであります。


あっという間の2時間超。最後はやっぱり横雲ですねぇ。


                           平成27年2月17日