久しぶりに本部講習会に参加。22日の柔術の稽古は間に合いませんでしたが、23日の居合、24日の剣術の稽古は充実したものでした。
23日の居合は、まず抜くところから。立った姿勢から、刀を抜いていくのですが、師匠に言われる通りには抜けません。どうしても右手が動いてしまう。右手を動かさないで、鞘を引いて抜きますが、途中までしか抜けません。体を柔らかく使わないといけないし、刀の微妙な角度や位置が影響しています。二時間ちかく、ただ抜くだけの稽古をしたでしょうか。
ようやく少し抜け始めて、今度は斬撃。師匠のコピーをするように凝視して斬撃を繰り返しました。これも何度も繰り返し。
で、ようやく初発刀。立っていたらどうにか抜けるようになったのですが、坐るとダメ。抜けません。またもやあれあれどうしたと、四苦八苦。ようやく抜けるようになっても、今度は無理して切り付けている状態。抜いて、切っているんですね、自分から。そうではなくて、抜けたから切れた、というような状態にもっていかなければならないようです。
初発刀も何度か繰り返して、最後は大森流を一通り抜いて、稽古は終了。
私は抜けなかったり、体が動かなかったりすると、楽しくて仕方がなくなります。
一体どうしたら抜けるようになるのだろう?とあれこれ自分の体で試す。といっても試すほど自分の体が自由に動く訳ではなくて、動かなさを知って驚くというか、呆れるというか。
とにかく楽しくて、自然に笑ってしまいます。けっしてふざけているわけではないので、師匠も許してくださっていると思いますが、あまりよいことではないですね。
そういえば、前にも書いたかもしれませんが、柔術を学び始めたころ、あんまり私が動けなくて、師匠や兄弟子姉弟子が四人がかりくらいで、手足をもって、文字通り手取り足取り指導をしてくださいました。そのときも師匠や兄姉弟子は一生懸命指導してくれているのですが、私はあまりの動けなさに、一人笑っていました。なつかしい思い出です。
あの時よりは多少ましになったのかなあ。
24日は大石神影流。陽之表、陽之裏、三学圓之太刀を、まずは兄弟子相手に稽古して、そのあと師匠に稽古をつけてもらいます。
兄弟子相手でも本気で切り込んだりするのですが、師匠相手では怖くて大変です。
手汗をべったりかきました。
そして天狗抄。初めて学びました。非常にシンプルな技が十本。でも、とても難しい。まさに剣術の試合を型にしましたというような技ばかり。今の言葉でいうタイミングを稽古する上で、非常に優れた型だと思います。これまた、とても面白い。ですが、今度は笑っている余裕はありません。剣術は相手がいるので、必死になります。
最後に防具をつけた稽古。これはまったくダメで、体に染みついた剣道の動きを抑えるので精一杯。竹刀を真剣のように扱うことなど、当分はできそうにありません。
天狗抄を教えていただいたので、これを十分に稽古して、竹刀剣術に発展させたいと思いました。
毎回のことで、今回の稽古も言ってはいけないかもしれませんが、楽しい稽古でした。
師匠にいろいろご指導をいただきましたし、兄弟子(といっても年齢は私のほうがずっと上です)が私よりさらにレベルの高い指導をしてもらっている様子を見ることができました。
すぐには兄弟子のようには出来ませんが、方向性が分かっただけでも儲けものです。
また、師匠と兄弟子の剣術の稽古も一通り拝見することができました。師匠の動きが滑らかで、立ち姿や構えが自然で綺麗なのに驚きました。これまでも何度も見ているはずですが、今回は本当に素晴らしいと思いました。それだけ私も見えるようになってきたのかと思いますが、まだまだ微妙なところまで見えません。
自分の動きですら、師匠に言われて、「ああ今たしかに右手から動いたなあ」とか、「うん、力を入れちゃったなあ」とわかるくらいです。
致命的なのは、やはり抜きつけで、切ろうと手指を働かせてしまっていると注意を受けるのですが、自分ではまったく手指を働かせているつもりはなくて、いまだによく分かりません。まったく自分が見えていない。
今回の教えを元にして、一から自分の稽古を見直そうと思います。
やれやれ、いつまで経ってもビギナーのような状態です。