形稽古

土曜午後は空いていて、日曜午前は三蜜状態。

各地の学校が利用できず、周辺の市から吹田市の武道館へ剣道団体が殺到。

いつも一緒に稽古していたテコンドーの団体は多分あきらめて柔道場に移った様子。

それに加えて今日は他の居合団体さんが来て、大変な騒ぎです。

館内アナウンスで発声は止めてくださいと呼びかけがありましたが、そもそも大声を出して稽古している剣道団体は、そのアナウンスも聞こえません。受付時にもアナウンスで案内されていたはずですが、聞いていなかったのか、無視しているのか。

指導者の資質を疑う団体が多いこと。剣道を学んでいた者として、悲しい状況。

次回から時間を変えて稽古しましょう。

 

さて、我々は粛々と稽古に臨みます。

英信流の太刀打や詰合、大石神影流の手数は相手を立てての形稽古です。

相手に応じて業を出さねばなりません。自分勝手に動いたり、相手の動きが最初から分かっているからと事前に準備しているようでは、本当の稽古になりません。

一方で、相手の動きに間に合わせようと力を使ったり、急いだりする必要もありません。

そんなことをしてしまえば、本質から外れてしまいます。

打太刀は相手の力量を見て、引き立てて稽古をします。仕太刀の動きを見ながら動いていますので、無理な動きをする必要はありません。といっても打太刀も修行者。うまくいかなくてもそれも稽古ですから。

 

まれに師匠に仕太刀をしてもらうことがありますが、その時は本来の仕太刀の動きを教えてもらう絶好の機会。とても怖ろしい動きをされるのですが、それを求められています。

ですので、合わせるといっても、緊張感もなくだらだらと合わせても意味はありません。

本来は刀を持った相手と対峙している非常な状況。その状況の中で心に隙なく、体は柔らかく、刀を有効に扱わなければならない。

咄嗟の動きというのは、ふつうは体を固めてしまうものですが、それを稽古によって心も体も柔らかく遣おうというのです。意識変革・身体変革が必要なのです。つまり自己否定が必要です。これが面白くて仕方がないのですが、なかなか一遍に自己否定など出来るものではありません。少しずつ改造していきましょう。