高いレベルの形や手数

今日は剣道の稽古をする人がとても多く、こういう時ほど専用で利用できる道場がほしいと思いますね。とくに剣道をする人たちは、稽古に熱中するあまり、あちこちへ容赦なく飛び出してきます。それを当たり前と思っている節もあって、迷惑を掛けていると思うようでもない。単純にスポーツとして楽しんでいるのでしょうが、スポーツとしてもちょっと横柄すぎるように思います。

そんな中でも、集中して稽古です。

 

剣道の稽古で騒がしくなる前に、居合の稽古を始めます。

比較的静かな中で斬撃や大森流まで終えることが出来ました。英信流表も稽古。

無駄な力を使わないようにするのですが、何が無駄か分かりません。なので、ゆっくり動いて力を極力使わないように力感を頼りに稽古します。

意識として、コマ送りの枚数を増やす感覚でしょうか。むかし教科書にパラパラ漫画を描いていましたが、そのパラパラ漫画のコマをより細かくするイメージです。

できるだけコマ送りの枚数を増やして滑らかな動きにしていきます。

一瞬一瞬の動きをつなげていくのです。ゆっくりしか動けません。

 

続いて剣術の稽古。

長刀と六尺棒、小太刀の稽古。とても難しいですね。

昨年から何度も師匠に教えて頂いていますが、精妙な心と体の動き、加えて微妙な間合の感覚を要求されるので、むずかしくて当たり前です。

そもそも、長刀や六尺棒、私が懸命に取り組んでいる二刀はそれまでの他の手数を習得した後に学ぶものです。小太刀に至っては奥の奥の手数で、支部全体で稽古してはならないレベルのものです。

10月に行われる四万十市の龍馬world での古武道を知らない方たちへの演武のために、昨年から特別に師匠から直接ご指導を頂いていますが、簡単に習得できるものでも、安易に稽古すべきものでもありません。

心して稽古に取り組まねばなりません。

 

柔術も廣島護国神社で奉納演武する形を稽古。

こちらも我々のレベルからすれば、数段上の形になります。師匠に教えて頂いたことを忘れずに取り組まなければなりませんね。

相手を力で投げつけよう、ねじ伏せようとするのではありません。

相手とつながって自分の肚が動いて結果として相手が崩れていく感覚です。自分と一緒に相手が動くのであって、無理に相手を動かそうとすると体に力みが生じてしまいます。

受をしていると、相手が無理に力で動かそうとしているのが分かります。抵抗できる。

でも、相手の力を感じないと、知らないうちに崩されているのです。抵抗できない。

これが不思議ですね。

なぜなんだろうと思いますが、立場上、受をたくさんさせてもらって、柔術の奥深さを知ることができました。

ある程度のレベルに達したら、受の稽古もしてもらいたいと思います。

楽にしていれば、勝手に転ばされているので、大丈夫。