愉しい稽古

「百姓の生きて働く暑さ哉」は与謝蕪村の句ですが、まだ中学生の頃に知ったもので、よく思い返す大事な句になっています。たぶん教科書か副読本で知ったのでしょう。教科書って大事ですねえ。

 

「生きて働く」という部分に共感して頑張ろうと思ったり、「暑さかな」に感じ入ってやれやれと思ったりしているのですが、この夏の暑さは、やれやれ感が強いですね。

日々の仕事でも疲れがたまっているので、「働く」にも感慨を抱いているのですが、これが古武道の稽古では、「生きて」に焦点が当たります。

 

チカラを抜いて、体の内部の働きや刀や木刀の動き、相手との技のやり取りに集中していくと、静まり返ったような心境に至ります。

体をのびのびと動かして、楽に動けるように静かにゆっくり動くことで、心と体が明るく澄んでくるように感じるのです。ひそかに古武道デトックスと呼んでいます。

なので、私にとって稽古の時間は「生きて」を強く感じる時間です。

 

できないことが多いのに、明るく澄んでくるのはどうしたものかと思いますが、楽しく稽古できないと長続きしません。いや、話が逆ですね。

楽しく稽古できるので、気が付くと長続きしているということですね。

 

仕事では改善の指導をすることが多く、一緒に考えてくれる人たちとは、まず問題の正しく掴むところから始めています。三人寄れば文殊の知恵とはよく言ったもので、一人で考えているより、議論をする中で問題がよりクリアになったり、思わぬ解決法を思いついたりします。腹蔵なく言いたいことを言い合って、いろんなことを試してみて、より問題がクリアになっていくこの過程が楽しいのですが、これは武道の稽古と同じです。

 

最初は漠然と出来ないと感じていますが、師匠の指導や助言、同門の人たちの稽古、そして自分の体の働きの観察を通じて、少しずつ問題がクリアになってきます。

もともとできなくて当たり前なので、工夫と試行錯誤を繰り返すのですが、少し進むとまた問題がクリアになってきます。

結局、問題をクリアにしていく過程がずっと続くことになるのですが、これが稽古なのだと思います。

問題を「クリアする(解決する)」のではなく「クリアにしていく(明確にしていく)」ことしか出来ないのではないかと、近頃考えています。

このクリアになっていく感覚は、視界が開ける感覚と似ていて、それが楽しさにつながっているのです。

皆さんが私と同じような感覚なら嬉しいのですが。。。

楽しく稽古をしていきましょう!