たしなみ

今日は皆さんご都合により、私一人の稽古。といってもいつもと変わらぬ稽古です。

斬撃の稽古のあと、大森流、英信流表、太刀打、詰合。

試合口、陽之表、陽之裏、三學圓之太刀、天狗抄。

 

気になるところを繰り返し稽古するので、天狗抄が終わったころには、11時を回っており、

かなりの疲労感です。

気を付けるのはいつも同じで、チカラを用いず、呼吸をゆったり、楽に動けるようにする。

何度も指導を頂いているので、それぞれの技の中で師匠の声が聞こえます。

自分では分かっているつもりでも、理解できていない、あるいは理解が浅い場合が怏々にしてありますから、指導の声に従って、やりかたを少しずつ変えてみます。

すると、少し楽になったり、あるいは窮屈になったりする。やり方を変えたところは分かっているので、その影響で変化が生まれるのだから、やり方がよかった、あるいはまずかったと分かります。自分で気づく範囲では。普段の稽古ではこの工夫をしているのですね。

 

厄介なのは、自分で気づかずに、チカラを用いている場面です。

自分で気づかないから、当然チカラが入っていたり、無理な姿勢でいることが分からない。

 

これは手直しを頂くしかないのですが、唯一自分で気づける(かもしれない)方法がゆっくり動くこと。ただゆっくり動いているだけでは駄目で、感度よく。

これも難しいことなのです。

 

一流のアスリートは、小さな筋肉や骨の動きを感じることができるそうです。

体づくりに時間と手間をかけて、常に体のメンテナンスを怠らないから出来ることだろうと思います。お金の掛け方も違うのでしょう。

私などは、平日はパソコンにへばりついていたり、工場の中をうろうろ歩いていたり、移動で電車や飛行機に長時間座り続けていたり、と体の感度を悪くすることばかりしているので、そんなに簡単にチカラを感じることができません。

だからこそ、日々の生活の中で、チカラを感じる訓練をしなければなりませんね。

パソコンのキーボードを親の仇のように叩きまくったり、悪い姿勢で歩いたり、じっと座っていたりしないで、その時の自分の姿勢や呼吸、手指のチカラの状態に気づくように心掛けています。あまりうまくいきませんけれど。

 

武道の稽古を通して、普段の生活や日々の感覚を意識することは、うまくいかないにしても、なかなかに楽しい経験でもあります。武道基準で心身を整えるというか、心身を律するような感覚なのですが、これが板についてくると、いわゆる「嗜み」というものに至るのかと期待しています。

 

そんな期待を膨らませつつ、ゆっくり動いて感度を高め、無理無駄な動きをキャッチしようと稽古に取り組んでいます。